解放軍は貧乏だった。
 それはそれは貧乏だった。
 一兵卒に至るまで固くぱさつた糧食を行き渡らせるのもやっとで、それ以上はどうにもならなかった。
 いくら赤毛の軍師さまが頭を捻ろうと、そうそう大金というのは転がっているものではない。
 だからといって。
 これはないだろう、とマッシュは思った。クレオも、フリックも、ビクトールでさえも思った。
 だが、文句を言えるものは誰もいなかった。
 軍主が恐ろしいからではない。
 物理的に不可能だった、ただそれゆえだった。



他力本願プレゼント



 秋も深まる時期、この一晩だけは特有の温かさがある。
 いつもはひっそりと静まり返る裏路地でさえも、やわらかな橙の光が溢れ、街角ごとにくり抜かれたカボチャが置かれている。 日が落ちた名残の色彩が、まだ空に残っていた。
 そして、そこら中を歩き回る小さな影。シーツを被っていたり、黒いマントを羽織っていたり。奇妙なお面を着けているのもいたりと様々だ。
「よし、行くぞルック」
 顔中に包帯をぐるぐるに巻いた少年が元気良く宣言する。頭には黒い帽子をかぶっていた。
「……本当にやるわけ」
「当たり前だ。大丈夫、ルックだったら百点満点だから。いいか?教えたことをよく守っていれば、それでいい」
 力強い言葉に、ふんわりと黒いヴェールとローブの少年は溜め息で応えた。
「それでうまくいくとは思えなんだけど」
「おや、魔法兵団の天才団長の言葉とは思えないお言葉」
 ふざけた台詞とともに、ミイラなシアンは光のなかに一歩踏み出す。すいと右手を差し出すと。
「お手をどうぞ、」
 レディ?という単語が後を追った気がしたが、空耳だとルックは自分に言い聞かせた。
 だいたい、これは任務なのだ。一日でも早く、腐敗した赤月帝国を打ち倒して戦争を終わらせるための。 だとすれば自分は師の言いつけもあることだし、命令を聞かないわけにはいかないのだ。
 促されるままに手を乗せると、くいと引っ張られる。
 仕方ないからね、という台詞を言い忘れたまま、彼らは甘い匂いの漂う街中に飛び出していった。


 子供たちの挨拶は、今宵だけのお決まりの台詞。
 大人たちの返事も、今宵だけはお決まりの行動。
 見かけない子供がいても気になんてしない。
 顔がわからない子供がいても、同じく。
 ちょっとでも少ないと見れば、平和な彼らは笑顔でおまけをつけてくれる。


「ほら、もっと大きな声で」
「ちゃんと言ってやってるだけ、マシだと思いなよね」
 聞きつけたおばさんが笑顔でチョコレートをひとつかみ。


「教えた角度がなってない」
「うるさいったら!」
 仲がいいねえと感心した老人がキャンディを放り込む。


 そんなやりとりを何百回と繰り返し。
 最後の一件は慣れたもの。
「あら、こんなところまで来てくれるなんて嬉しいこと」
 ミューズの外れの森の中、そろそろ扉に鍵をかけようとしていた宿の若奥様は。
 こくりと首を傾げて見上げてくる幼い美貌、その両手で広げられた空っぽの黒いヴェールの中と。
 気障な動作のミイラ男、差し出された空っぽのシルクハットの中に。
 ざらざらとこの日のために用意していたお菓子の残りをすべて流し込んだのだった。


***


「まったく、あなた方は……」
 一晩中眠っていなかっただろうであろう軍師から雷が落ちた。
 文字で表せば何の変哲もない台詞である。しかし、これを発したマッシュの顔と声で、彼の怒りがいかほどであろうかとはわかる。
「もっと時期を心得ていらっしゃると思っておりましたが、私の勘違いだったようですね」
 はあ、と深く息を吐く。
「言っておくけど、僕はこいつに命令されただけだからね」
「お黙りなさい、同罪です」
 ルックの反論をぴしゃりと封じて、並んだふたりの姿を確かめる。
「今、私たちがしているのは何です?」
「戦争」
 さらりとシアンが応える。
「では、今のあなた方の格好は」
「ハロウィン」
 これまたするりとシアンが応えた。あまりにあっさりとした態度にマッシュは頭を抱えたくなる。 兵士たちが『このひとのためならば』と命をかけて戦っているというのに、この軍主と魔法兵団長ときたら……!
 見せられたものではなかった。
 上半身をぐるぐると包帯で覆っているシアン=マクドール。本拠地に帰還したときには目しか見えなかったが、顔の包帯は鬱陶しいので外したようだ。
 黒いヴェールと黒いローブのルック。こう評しては本人は怒るだろうが、魔女にしか見えなかった。あるいは悪魔の花嫁。
「職務を放棄して遊んでいるとは……しかも都市同盟で」
 彼らの姿が見えなくなったのは日付が変わる前。日が落ちてしばらくだった。 夕食の席にいつまでたっても姿を現さない軍主を探しまわった末に、ビクトールが床に落ちていた便箋を拾ったのだった。
 そこには一言。


 お菓子をせしめに、都市同盟に行ってくる。
 護衛にルックを連れて行くから、よろしく。


 ――とだけあったのだ。


 漏らされた文句に、シアンは片眉だけを器用にあげた。
「おれはきちんと働いてたんだけどな」
 そうして傍らの少年に視線を向けて。
「本当だよ。まったくこいつの仕事にどれだけつきあったと思ってるのさ」
 ひと呼吸。
 まるで時計で計ったように。
 シアンはシルクハットをマッシュに差し出して。
 ルックはヴェールを両手で広げて。


          Trick Or Treat?


 古い異国の言葉。
 それが合図。
 懲りていない様子のふたりにどうしたものかと頭を巡らせていたマッシュの思考が停止した。
 からっぽだったはずのそこから、すごい勢いで色彩が溢れてくる。
 チョコレート、キャンディ、クッキー、ビスケット……。
 手品のようにあっという間に執務室の床がお菓子で埋め尽くされる。
「これだけあれば、うちの兵士も配れるだろ?」
「こいつがさ、あんな味も素っ気もない食べ物ばかりが士気が下がるとか言ってうるさいったらありゃあしない。 国内にそんな余裕がないんだったら、他から持ってくればいいとか言い出すし」
「……それで、都市同盟ですか」
 子供の特権で、誰に疑われるでもなく誰を傷つけるわけもなく、彼らは手に入れてきたのだ。これだけの量。調達するだけで、いくつの場所に赴いたのだろう。
「そう。僕の転移があるからってミューズにグリンヒルにサウスウィンドに……コボルト村まで行かされた」
 心底つかれたという表情で少年はローブをはらった。どうやらいつもの法衣よりも歩きにくいらしい。
「ルックのおかげで助かったよ。首を傾げて上目遣いにするだけで、他の子供の倍はもらってたし」
 床にこぼれたお菓子をシアンはつまむと、マッシュの手の中に自然な動作で落とした。反射で受け取る赤毛の軍師に、やわらかく微笑む。
「心配かけるとは思ってたんだけどね。でも、逆に都市同盟だから安全だった」
 まさか、赤月帝国で解放軍を率いているリーダーが堂々と歩いているだなんて、それも子供たちにまじってお菓子をねだっているなんて誰も思わない。
「まったく、あなたというひとは……」
 まじまじと見つめ、顔を伏せる。
 と、次の瞬間。
「どうやら、反省が足りないようですね」
「へ?」
 現れたのは、笑顔であって笑顔ではなかった。細い目のせいで、余計に表情がわかりにくい。しかし、どうにも穏やかといえるものではない。ふたりにはわかった。
「どれほどの迷惑をこちらが被ったのか、よくわかっていないようですね。さあ、扉の外に待機しているみなさんに挨拶して来なさい」
「は?」
 マッシュの指摘の通り、扉の外には複数の気配があった。身に馴染んだそれは、この軍の幹部のものに間違いない。
 ルックが素早く呪文を唱える。淡い光が彼を包み込み。
「これ以上つきあってられないね」
 逃げた。
 宙を舞うのは持ち主のいなくなったヴェール(レックナート特製)だけ。
「さあ、こってりとしぼられてきなさい」
「あの……マッシュ?」
「ご安心を。あなたの戦利品はきちんと兵士たちに分配しますから」
 言葉だけは丁寧に。マッシュはお菓子の山をかき分けて扉を開け。
 廊下へとシアンを放り出した。
 そのまま間髪入れずに扉を閉める。
 途端に足音やら怒鳴り声やら罵声やら、悲鳴。
 扉越しのそれを聞きながら、マッシュは手のひらのチョコレートをつまむ。
 思ったよりも。
「苦い……」
 彼らが出奔している間のこちらの心労を考えれば、割にあわないと思いながらも。
 幹部一同によってたかって責められる主を助けるべくノブに手をかけたのは、きっかりと十分後のことであった。





月ノ郷杜さまより、4001キリリクで『傍迷惑な坊とルック』でした。
どうやら我が家の坊とルックは迷惑をかけている意識が薄いようです。反省のいろがありません。
……どこかお題とずれいている気がしてなりません。それ以上に季節仕様になってしまった時点で間違っています。
いつでも修正いたしますので、文句つけてやって下さい。
リクエストをいただきました月ノ郷さまのサイトはこちらです。

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