主たる者は誰よりも自らの足下に精通していなければならない。 幼い頃より叩き込まれた教え。 その甲斐あってか、悪友の甲斐あってか、かつて暮らした帝都の屋敷では知らぬ抜け道も隠し部屋もなかった。 もっとも、帝国を守る将軍、軍の重鎮とはいえど、黄金皇帝バルバロッサの御代に落ち着いてからはそれらが使われることもなく、とっさに使うには適さぬものとなっていたが。 さりとて身についた習性は変えられるものではない。 本拠地を手に入れたシアンが最初に行ったことは、自ら本拠地を暴くことであった。 「地下だが、壁の薄い箇所がいくつかあったな」 「はい、そのようですね。あとで調査しておきましょう。抜け道でもあったら大変ですから」 「ああ。クレオ、頼んだよ。マッシュ、基礎の方はどうなっていた?」 「問題ないでしょうね。湖のなかということで水の浸食が気になっていましたが、当面は大事ありません」 女戦士と軍師の言葉に満足する。自分も立ち会っていたが、そのときの感触を裏付ける証言を得ることは重要だ。 階段を上りながら、反対側に確認をとる。 「グレミオ、厨房はどうだ?」 自分にとっての最大の管轄外を任せていた相手から確認をとる。台所ばかりは使用者の立場にならないとわからない部分が多い。 「はい、坊ちゃん。マリーさんに貸している階ですね。火を使うことを考えれば、もうひとつくらい非常口になる扉があるといいんですけれど」 「そうか。それはきちんと構造を調べてからでないとできないな。今の状態じゃどこをぶち抜いていいのか見当もつかない」 「そうですね。マリーさんは信頼できますし、こちらは保留にしておいても問題ないでしょう」 「ああ」 如才なく答えながら、彼はちょっとした問題を抱えていた。 地下から上へ上へとクレオ、マッシュ、グレミオであちこち調べ回っている。すでにおおかたの場所は見終わっている。 そう、残っているのは最大の難所だ。 得体の知れない石版がある場所。知らぬまに運び込まれ、設置されている。 しかも、仲間ができると何もせずに名前が浮かび上がってくるのだ。無気味と言わずしてなんと言う。 あれには絶対になにかが隠されている。 「どういたしますか?お疲れでしたら、今日はもうお休みになられますか?」 マッシュがこちらの心情を察して言葉を差し出した。 それに対して、ゆっくりと首を振る。否定の意志。 「いや、後回しにしてもどうしようもないだろう。行ってくる」 「では坊ちゃん、行きましょう」 「いや、ひとりで行く」 意気込んだグレミオを見上げてきっぱりと告げる。これは最初から決めていたことだ。あの部屋には、一番最初はひとりで行くと。 途端に眉の下がった付き人に苦笑いして、表向きの理由。 「相手は子供ひとりだぞ?解放軍の重鎮がそれこそぞろぞろ行ってみろ、下手をするとおびえるだろ」 そんなわけはないだとろうと笑いたくなるような。 しかしグレミオは額面通りに受け取っておろおろする。彼から見れば、充分、庇護が必要な子供にみえるのだろう。 「でも、それなら坊ちゃんが行くのは……」 「俺は軍主で、軍を把握しておく義務がある。だから行く。グレミオは上でお茶の準備でもしておいてくれ」 にっこりと笑顔で、楽しみにしていると付け加えれば、それだけで彼の矛先をかわすことができた。 クレオはそんな事情は百も承知とばかりにグレミオの肩を叩く。 「ほら、坊ちゃんもそういっていることだし、一足先に戻るとしよう」 「わかりました。お茶が冷めないうちに戻っていらしてくださいね」 グレミオの横からクレオが悪戯っぽく笑う。 マッシュもどこか苦笑めいたものを浮かべていて、どうやら察しのいい二人には自分の意図は明らかになってしまっている。 まあ、そういうのも悪くはない。 それに、ひとりで行きたいというのもある意味、おさない。 「さて。行きますか」 当本拠地一の、ミステリーゾーンへ。 得体の知れない石版。 それに帝国お抱えの占星術師の弟子。 最初に会った時はいきなり土人形をけしかけられた。 あのときの文句をまだ言っていない。 協力は約束されたものの、立場としては敵対してもおかしくないものだ。 あれは真実、敵か味方か。 見極めるのは軍主の仕事。 彼を見るのが自分の関心。 「まあ、一番の本音としては」 興味があるという、それだけ。 同世代の友人なんて、たったひとりしかいなかった。 性格のせいもあるだろうが、多分にして将軍家嫡男という立場が、人間を退けた。 だが、おそらく彼にはそういうものは関係ない。 (元)次期帝国将軍と占星術師の弟子。 あまりに共通点のない境遇は、この場合悪くない。 自分の知らない世界の人間を知るのは楽しいから。 一番の関門は相手の性格かもしれないが、それはどうにかなりそうだ。 感覚的なものだけれど、こういう直感は外れたことがないのが自慢。 そう考えてちょっと気分もよく石版の間の扉の前に立つ。 が、視界に飛び込んできたものは。 「……」 顔をゆっくりと扉へ近付ける。 「……?」 正確には張り紙へと。 「なんだこれは」 そこには整った文字で記してあったのだ。 『諸事情により立ち入り禁止』と。 しかしこちらの事情だってある。これは優先順位として軍主の自分の方が高いだろうなと冷静に判断を下し、扉を叩いた。 「ルック、入るよ?」 「入るな!」 即座に返事があった。 沈黙が返るだけだろうとの予測と外れて、シアンは首を傾げる。 「今、本拠地を全部調査している最中なんだ。できれば石版の間も見せてほしい」 「とにかく今は却下。先に他を見てくれば?」 「他は全部見終わって、残るのはここだけなんだ。軍主命令、我が儘言うな」 相手の声音は切迫したものを含んでいた。 もとからルック自身は別にして、石版には得体の知れない気味悪さを抱いている。 軍主である自分に対して明かせないようなことをしているのか。 「入るぞ」 「ちょ、ちょっと」 初めて聞く狼狽えた声を押しのけて部屋に一歩踏み込む。 なにが起こっているのかと、厳しい目で広いとはいえない室内を見回そうとして。 一目見ただけで絶句した。 「……ルック」 「なにさ」 きまりが悪いのか、名前を呼ばれた少年はふいと視線をそらせた。 「なにしてたんだ?」 「見れば分かるだろ」 たしかにその通りだ。 だが、この少年がそんなことをしているのは想像の範囲を超えていた。 「さっさと扉閉めてよ」 「……風通しがいいほうがいいんじゃないか?こういうの」 「見られる方が嫌なんだよ」 不機嫌に言う様子はまるで照れ隠し。 「別に構わない気はするけどな。意外は意外だけど」 「仕方ないだろ、あまりの汚さに我慢できなかったんだから」 弁解すると、彼は水の乾かない床を裸足でぱしゃりと蹴った。 「だからといって、ここまで徹底的に洗うか?」 どこから持ってきたのか、部屋の隅にはバケツとモップ。 緑色の容器に入っているのは、泡がはみ出ているところから考えれば洗剤だ。 本人といえばブーツを脱いだ裸足。法衣が汚れないように腕を捲り、前後の裾は引きずらないよう腰のベルトに挟んでいる。 手慣れた動作で手にしていた雑巾をバケツに放り投げる。 石版も濡れていた。雑巾で拭いていたのだろうか。聞いたところで素直には答えてもらえまい。 「で、なにを調べにきたのさ」 「この部屋の構造をちょっとね。他にいろいろ聞きたいこともあったんだけどさ。特に石版についてとか」 「石版が何?」 「いや、それはもういい。……この扱いを見るとな」 未知のものとして、得体の知れないものとして、警戒するつもりだったのだが。 目の前の少年にごしごしとこすられる石版を想像れば、そうして泡だらけになった石版を思えば。 そんなに緊張するほどのものではないのかもしれないと思ってしまう。 間違った認識かもしれないが、自分にとってはきっとただの一枚岩だ。あるいは便利な名簿。 ありがたみは感じられないのが実情で、それに拍車がかかってしまった。 「あんた本当になにをしにきたのさ」 刺々しい声。迫力は充分だが、見られたくなかった姿を見られてしまったせいだと思えば可愛らしい。 ああ、まずいと思う。気に入りそうだ。この意外性。テッドと会った時と同じ。 あの親友もなにが出てくるかわからないびっくり箱だった。最初はそこから始まったのだ。 こいつもだ。 自然に顔が笑う。 「別に?」 目的なんか、どうだっていいだろう? *** 最初は本拠地派遣前のルック→坊視点で書いていたのですが、あまりにも暗くて三回書き直したうえで断念。 敗因は我が家オリジナルのルック設定のせいか……。場所変えて、さらに坊視点にしたら進むんだもの。 本拠地の掃除って誰がやってるんだろう。マリーとかアイリーンかな。セイラは洗濯専門か? 石版の間はおそらくルックをおそれて誰も手出しできまい。というわけでルックが素で掃除してます。 汚いのが我慢できない。 ちなみに、これ、たぶん本拠地に来てからの二人の最初の会話……。 *** 書けなかったネタ→洗剤の名前は『ルッカ』でキャッチコピーは『カビは死ね!!』。 テレポートでわざわざハイランドまで買いに行ってます。主婦に評判。グレミオやマリーも欲しがってます。 さすがに本文には入れられなかったよ……(悔し涙)。技術不足。 |